新しい人間学の地平

新しい人間学の地平

物事の本質を捉える ~今の世の中に受け入れられるには余りにも正し過ぎる考え~

 つくづく良い本が出たものだと思う。こういう良書を出版した大津市の「行路社」にまず敬意を表しておく。評者は生来のひねくれ者ゆえ、東京生まれ、東京在住でありながら関西のものを応援する癖があり、この機会に「行路社」を始め、評者の専門に関係深い書物をよく出版する「世界思想社」、「ミネルヴァ書房」、「ナカ二シヤ出版」、「昭和堂」等の関西系の出版社に、東京のそれに負けぬよう頑張れとエールを送っておこう。
 
  本書の標題「モノディアロゴス」は「独対話」とでも訳すべきスぺイン語である。単なる独り言に止まらず、友人たちの目を意識した半ば公開の日記だと著者は言う。独自のジャンルである。それを一編千字という制約を自らに課して一年間にわたって二七一編書き綴った。しかもそれらを逐一自らのホームぺージに載せていった。なにせ彼は大変な読書家である。読書家であるだけではない、彼は小説家でもある。同人誌「青銅時代」のメンバーとして毎号寄稿を欠かさない。その知巳には小川国夫、埴谷雄高、安岡章太郎がおり、島屋敏雄に至っては著者の従弟おじだとのことである。道理で彼の書く文章は天下一品である。例えば本書の二〇八頁「葉桜」はなかなかの名文である。
 
  読書家であり、小説家であるだけでも偉大であるのに、著者はその上に実に多芸多才であり、また多方面に関心を寄せている。このことを、著者の親友である中村忠夫は本書のテーマが「記憶論」「バッパさんのこと」「クッキーという癒し犬」「原町市」「スぺイン断章」「方言論」「猫・猫・猫」「交友録」という八つのキーワードから成るとして証拠立てている。中でもパッパさんこと著者の母親を始めとして、家族、親族、多数の友人、猫・犬に代表される動物に対する著者の深い愛情に評者はただただ頭を垂れるしかない。実に暖い心の持主である。こういう暖い心はどうやって育まれたのか。評者の考えでは著者が二〇代の五年間を広島で修道士としての生活を送ったこと、その後大学へ戻って哲学を修めたことがとりわけ影響しているように思われる。だからこそ著者の大学遍歴の最後となった東京J大学で講じた「人間学」は大成功を収め、「人間学紀要」全8巻となって結実したのである。そこに収められた学生のレポート、全部ではないにしても、評者を「日本の若者も捨てたものではないぞ」と唸らせるものがあった。指導教授が立派だからだ。

 それだけに、一旦この暖い心の持主を怒らせるとこれは大変なことになる。その攻撃の槍王に挙がったのが、カトリックの組織、大学に代表される日本の教育、そして日本の政治である。カトリックの組織については著者は修道士としてその内部にいたのだからその批判は確かなものであろう。教育についても東京J大学を定年前で辞めて原町市に引っ込んでしまったことで彼の正義感がいかばかりのものであるか容易に想像がつく。またとない良き教師に「学校なんてなくても立派な人間になる(を育てる)ことができる」(四五頁)と言わせるとは一体どういうことなのか。政治については、「国が国民を守ることなどない」(二三九頁)とまで喝破している。また自然破壊、環境問題、とくに原発の問題への関心も深い。それやこれやで、「一見のどかな田舎に生活していても、地球の行く末を思うとおちおち寝てもいられない」(七一頁)という結論的発言に落ち着く。
 
  以上を要するに、物事の本質を余りにも素早く捉えることのできる著者の考えは、組織の外から冷静に、ある時は深い愛情をもって、またある時は軽侮の念をもってその組織を眺めるという視点しかとれなくなってしまう。それでもいいからぜひ飽かずしつこく意思表示をし続けてもらいたいものである。評者としては多くの人に本書の一読をすすめたい。

原 誠(スぺイン語学・言語学)
『モノディアロゴス』評、「図書新聞」2004年11月27日号

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